ポカラからの夜行バスは、朝4:30にブトワルButwalに着いた。
電話で岡山の実家に元気でいることを報告し、6:00発のローカルバスに乗る。
なかなか出発しない。しかもこれから、3〜4時間かかるらしい。
まあ、のんびりゆったりと構えることにしよう。

バスはおもむろに出発した。
車窓の風景を見ながら、まず驚いたのが、山から徒歩で町へと出てくる人の数。
赤や緑など、色とりどりの民族衣装を着ている人が多い。
バスはずっと、クラクションを鳴らし続けている。

次に驚いたのが、土砂災害地の多さ。
おそらく100ヶ所を超えているだろう。
何とかバスが通れるように、道の半分ほど土砂を取り除いたところや、
道自体の一部が崩落したところなどが続く。
運転手は平気でハンドルをさばいているが、乗っているこちらはビクビクしどおしだ。

道に沿って、小さなバザールが各所に見られた。
バスはそのいくつかに立ち寄る。
休憩時間は、運転手の気分次第らしい。
山からの水が自由に使えるよう整備された休憩所もある。
ここでは乗客はみんな降り、頭を洗ったり水を飲んだりしていた。
冷たくおいしい水だった。

10時頃、ターンセンTansenの町に到着。霧が濃い。
早速、古い町並みを楽しむべく、石畳の急坂を登り始める。



この町の、すべての道は坂である。
それに沿って、各種の店がある。学校もいくつかあるようだ。
車はほとんど通れないだろう。リキシャーさえも通行が難しい道がある。
しかし、町にはとにかく活気がみなぎっている。



『地球の歩き方』によると、この町は中世の面影を多く残しているという。
しかし今回、この山の中の町にやってきたのは、ガイドブックではなく、
僕の研究室(広島大学地理学教室)の机の下に落ちていた、JICA作成1:25,000地形図のコピーに惹かれたからだ。
集落の形、周辺の耕地の広がり方、道路のネットワーク・・・。
地図を見ながら、景観とそこに生きる人々の暮らしを想像していたらむずむずむずむずして、
この目で実物を確認したくて仕方なくなったのだ。

町の中でその地図を見ていたら、人が集まってきた。
1人が英語で、ここはタマン人・マガール人(モンゴル系)の土地にネワール人が攻めて築いた町だ、
この人は地図にあるここの村から来ている、ここへはバイクでも行くことができるetc...と教えてくれた。

そういえば、僕の研究室の中田高先生はこの近くに活断層調査で入られたことがあるはずだなあ、
とふと思い出し、駄目もとで「プロフェッサー・ナカタタカシという日本人の地理学者がこの辺にきたことはないか?」
と聞いてみた。
別の1人が答えてくれた。
「おぉ、ナカタタカシなら知ってるぞ! 彼はとてもサッカーが上手だ。私は彼を心から尊敬している。」
???・・・・・・。


町を離れ、東のほうへ歩くことにした。
買ったばかりのミネラルウォーターのふたにあるシールをはがしてポケットに入れたら、
そばの家のおじいさんが、「おいお前、ここに座れ」と言う。
何をしでかしてしまったんだろう・・・。
ちょっぴり不安げにおじいさんの方を見ると、ニコニコしている。
なんでも、ゴミをそこら辺に投げ捨てなかったことに、感心したのだそうだ。
僕たちにとっては当たり前の行為だが、この国の人の環境美化意識の低さから考えると、相当珍しいのだろう。
おじいさんは、おもむろにチャー(ミルクティー)を勧めてくれた。
この町は非常に魅力的だ、ぜひ今のうちにゴミ収集システムの確立や町並み保全を進めて欲しい
と話すと、同感してくれた。
自由主義経済の「発展」において、どうしても環境や文化といった要素への対策は後回しになってしまう。
でも、失われてからそれらの重要性に気づいたのでは遅いということを、それを経験してきた「先進国」の人間が意識し、国際開発協力の中に組み込んで地元への啓蒙を図ることは重要だと思う。
目先の利益だけにとらわれず、多少なりとも中・長期的視点を持つことの必要性を、痛感させられた。

両側に家々の連なる石畳の急坂を降りると、寺院があった。
その手前の水場で、女の人が5〜6人、懸命に洗濯をしている。

ここで、町は途切れた。

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