バスは再び国境を越え、オーストリアはティロル州の、ロイッテReutte駅前に止まった。昨日、ただでバスに乗せてもらった場所である。
次の列車まで40分ほどあるので、中途半端な時間ではあるが、駅前を散歩する。
ここ、インフォルマツィオーンで地図とパンフを手に入れ、歩き始めた。
つららがいっぱい垂れ下がっている。
ちなみに、道路標識にあるのは、「バスを除く・始点」である。日本とデザインが一緒(?)

やはり、壁面のフレスコ画が目を惹く。この町にはそんなに多くのフレスコ画はなさそうだったが、ごくごく一部しかまわれなかったため、何とも言いようがない。
フュッセンほどではないが、雪が降り積もっていた。
駅前にあった壁絵。何を意味しているんだろう。
とまあ、ロイッテでの短い時間を過ごし、昨日の夜乗った2時間に1本のローカル線でガルミッシュ・パルテンキルヒェンへと再度戻る。
狭い谷に町や村が点在する。スキー板を持ったおばさん隊が乗り込んできて・・・・降りていった。スキーは日本よりも幅広い年齢層で親しまれているようだ。
またドイツ入り!
奥に見えるのは、おそらくツークシュピッツェZugspitze(ドイツ最高峰/2963m)。 |
![]() この辺りでは、畑1枚につき1棟の作業小屋があるらしい。 |
![]() ここは、1936年にガルミッシュ・パルテンキルヒェン冬季オリンピックがあったところ。ヒトラーはその際、ガルミッシュとパルテンキルヒェンの2つの町を強引に合併させた。 |
![]() ガルミッシュを過ぎて・・・。 |
木立の中の上り坂を、列車はぐいぐい進んでいく。それを登り切った、国境の町ミッテンヴァルトMittenwaldは、列車から見るだけでも美しさが十分に感じられる、途中下車したくなるような町だった。

町のすぐ側まで迫る岩山の雄大さは圧巻。
この町はヴァイオリンづくりの里である。

乗ってきたDB(ドイチェス・バーン)の列車。ミュンヒェンとインスブルックを結ぶ、1時間に1本の列車だ。
再びオーストリアはティロル州に入った。行く手には、雪を乗せたアルプスの山々が広がっている。

保養地のような村々を過ぎると、谷底のインスブルックInnsbruckへと、列車は急な下り坂を降りていった。
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息をのむほど美しい風景が眼下、インスブルック周辺に広がっている。思わず写真をバシバシ撮ってしまった。こういう時、デジカメはいい。普通のカメラでは失敗した写真があっても消すことができないからだ。結局あまりいい写真はなかったが・・・。 ちょっと行っては現れるトンネルが、うっとうしかった。 |
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インスブルックInnsbruckの駅に着き、宿泊予定のウーデルンスUdernsのユースホステルに電話をかける。ドイツ語で電話してみたのだが、相手の言うことがほとんど聞き取れず四苦八苦した。最後は英語だったのだが、"Full
house."と言われたのを"Full Time."と聞き間違え、ウーデルンスへ直行。東にあるイェンバッハJenbachまでオーストリア国鉄で行き、ツィラータールバーンに乗り換えた。ツィラータールバーンについては後でちょっと触れますので、その時に。
Udernsのユースは、「ヨーロッパ千五百円の宿・・・欧州30ヵ国YHガイド」という本で見つけていた。ティロルにはインスブルックを除き、あまり
ユースが多くないのだが、ここは珍しく三ツ星クラスにランクされており(ユースにしてはすごくいいということ)、しかも3日間ほど泊まってティロルをまわ
るにはちょうどいい位置にある。田舎にあることや、宿泊料金が安いことも魅力だった。
Udernsで降り、さあ、ユースを探そうかと思って足を踏み出し前を見ると、一緒に降りた10才くらいの女の子が、こっちこっちとしきりに手招きして
いる。行ってみると、Udernsの宿などが写真付きで記された、大きな地図の案内板があった。女の子は「わーっ、この村に東洋人がやってきた!」といっ
た感じで、笑顔でいっぱいである。「どこから来たの?友達同士?今日はUdernsに泊まるの?えっ、本当?!」など、次々に英語で質問してきた。「ユー
スホステルはどこ?」ときくと、後ろの方にいた母親と話し始め、「フィンズィンガーホフのことかなあ。」ということで決着したようだった。あっちに行って
左に曲がって・・・と説明してくれたが、複雑すぎてよくわからないまま、とにかく出発する。もう、だいぶ暗くなってきた。

村のメインストリートである旧道を歩いていったが、車のとばす新道にぶつかってしまった。その辺の家の人に聞いたら、車で送ってくれた。ユースは旧道を左に曲がってだいぶ坂を上った場所にあった。運転手さん、多謝!!!!
山小屋風の、父の喜びそうなウッディーな建物である。比較的新しい。ネームプレートには、確かに"Finsinger
Hof"とあった。入口のドアを開ける。その途端、「オーー!」「イエーイ!!」耳をつんざくようなやかましい子どもたちの歓声に、立ちすくんでしまっ
た。入ったところは食堂になっており、地元の子どもたちが学校の授業の一環で泊まりに来て夕食を食べているのだった。想像してみて欲しい。全員の目が僕た
ち2人に向いているのである。日本人が、というより東洋人が相当珍しいらしい。陽樹が一言ポツリ・・・「俺らーは(動物園の)パンダか????」
「ホンコン?コレア(朝鮮)?キーナ(中国)?」といった質問に2人のパンダは答え、出てきたユースの人と話をする。声から察するに、電話に出た人だ。
やはり今日は子どもたちでいっぱいで、どうにもならないらしい。オーナーが知り合いの近所のおばさんに電話で話をし、僕たちを車でおばさんの家まで送って
くれた。何て親切なんだ!!おばさんは、ユースの宿泊料金で僕たちを3日間泊めてくださることになった。
| ~~M・・e・・n・・u~~ | |
| 大地 | ティロル風のチーズばっかりのフライパン料理、グレープジュース |
| 陽樹 | パスタ(?)、アップルジュース |
大きい荷物を置き、駅の近くのレストランまで行って食事をする。ここも地元の人同士あるいは家族の、歓談の場だった。ウェートレス(兼オー
ナー?)が途中で店を出ていってしまい困ったが、数十分して戻ってきた。のんびりしている。勘定の時、「あなた達はこの店に来てくれた初めての日本人
よ!」と言ってくれた。
おばさんの家に戻ると、泊まる部屋も、お風呂もきれいにしてあった。ここはおそらく、個人で部屋貸しをしているプリヴァート・ツィンマーPrivat
Zimmerなのだろう。部屋はホテル並み。シャワーだけと思っていたお風呂には、足が伸ばせるほど大きい浴槽があった。
近くの公衆電話から家に電話をかける。周りには、もう10時になろうというのに子どもたちが大勢歩いていた。