『第5回 日本有機農業学会大会 資料』、pp.81-83.(於:岡山大学農学部、2004年 12月)より


宮崎県綾町の有機農業推進に対する農家の受容

広島大学 大学院文学研究科 地理学教室 博士課程後期

河本 大地(こうもと だいち)


◆研究の背景と目的

有機農業は、食の安全志向や環境意識の高まり等を背景に、世界的に広がりを見せている。そのような中、日本では大都市近郊や中山間地域を中心に自治体・農協などが地域農業振興策として有機農業を導入し、産地形成を試みる事例が見られる。これら有機農産物産地の事例研究ではこれまで、調査対象を有機農業の推進者や中心的実践者に絞り、経済的側面の分析や取り組みの礼賛に終始する傾向があった。しかし、理念的要素をも重視する有機農業の推進が、地域にとってどのような意味を持ち、地域をどのように変えていくのかを捉えるためには、その一側面として産地内部の住民による受容の状況を確認する必要がある。

そこで本研究では、有機農産物産地形成の先駆的事例である宮崎県綾町をとりあげ、町・農協が推進してきた有機農業を、農家がどのように受容しているのか整理・解明した。特に、農家の受容形態の多様さを把握し、農業構造・農家経営との関係や、産地の今後への影響を検討した。なお、産地で最も有機農業推進の影響を受けてきたのは販売農家と考えられるため、本研究で農家とは販売農家を指すこととする。


◆綾町における町・農協主導型の有機農業推進

綾町の農業は、主産地化を目指した1960年代の温州みかん導入と直後の価格暴落による縮小以降、畜産および施設キュウリ栽培が中心となり、もともと低位であった果樹作や稲作はさらに縮小してきた。その中で、有機農業の推進開始以降は露地野菜の多品目少量栽培が活発化しており、経営規模は相対的に小さいものの、農地の保全や町全体の農業振興に対する効果が確認できる。

「有機農業の町・綾」としての取り組みは、1960年代の急速な人口減少や地域の競争力欠如を背景に、「照葉樹林都市・綾」などとともに、自然環境との共生に確固たる信念を抱いた前町長による一連の活性化事業の核をなしてきた。その推進過程は、取り組み内容から4期に区分できる。第1期(1966〜75年頃)は、前町長が自給自足等の意義を説き、農薬・化学肥料の使用を控えた農作物の庭先栽培を支援する「一坪菜園運動」を展開した時期である。第2期(〜85年頃)には、し尿液肥化施設や堆肥センターの設置など、組織的な資源リサイクルによる土づくりが推進された。同時に産直流通の可能性も模索され、その中で綾町農協も宮崎市内に直販センターを設置するなど町との協調姿勢を示し始めた。続く第3期(〜89年)は、本格的に有機農業を展開するための基本的体制が整備された時期である。農地検査基準(土づくり)と栽培管理基準(農薬・化肥使用の制限)の2本立てによる農産物認証制度の開始、町の有機農業関係業務を担当する「有機農業開発センター」の設置、有機農産物を呼び物にした物産館「綾手づくりほんものセンター」の開設など多彩な先駆的取り組みが行われた。これにより、大半の農家が、町・農協による有機農業推進体系に、登録という形で組み込まれた。また、助成金交付や指導、新たな販路の確保等により慣行農業との技術・経営面でのギャップが緩和され、さらに集団的取り組みによる安心感が醸成された。町長が交代した第4期(92年〜)に入ると目立った動きは少なくなるが、農水省第1回環境保全型農業推進コンクールの大賞受賞、農産物価格支持策の充実、市町村として初の有機JAS登録認定業務開始などがあった。

以上の結果、綾町は「有機農業の町」として高い知名度を獲得し、町外からの訪問者や大都市圏からの就農移住希望者も多数ひきつけている。

現在、農産物流通の7割以上は農協が握っており、そのうち有機農産物は、大半が産直(1993〜2002年度は全体の14〜18%)の形で出荷されている。うち71.0%(2001年度)は福岡市に本部を置くグリーンコープとの取引である。この他に、有機農産物の専門流通業者を利用する農家や、ほんものセンター等に直接出荷する農家もある。


◆農家による有機農業の受容

町・農協の主導による以上のような有機農業推進を、農家はどのように受容しているのだろうか。これを明らかにするため、筆者は2集落(尾立・崎の田)の在来農家(各13戸)および町内全域の移住農家(1986年以降に綾町に移住した20戸)を対象に、平均3時間以上に及ぶ綿密な聴き取りを行った。尾立集落は丘陵部に位置しており、無農薬・無化学肥料の露地野菜栽培を行う農家が多い。崎の田集落は平地部にあり、大半の農家が減農薬・減化学肥料の施設キュウリ生産に従事している。

調査の結果、農家の受容形態には様々な差異が認められた。第一に、在来農家と移住農家との差異が顕著である。移住農家は、有機農業を推進する町や農協、そしてそれに「巻き込まれてきた」大多数の在来農家の取り組みに対し、不信感を示しフロンティア精神の欠如を批判している。それは綾町の有機農業推進体系にあまり依存せず主体的に取り組んできたためと考えられ、同様な条件をもつ一部の在来農家にも類似した傾向が認められる。

 第二に、在来農家の間には顕著な地域差が確認された。露地野菜栽培の盛んな尾立では、施設野菜栽培の盛んな崎の田に比べて有機農業への関心が高く、発せられる語りも具体的な内容に踏み込んだものが多かった。崎の田では、全般的に綾町の有機農業推進を評価しつつも、その実践主体は自分たちではないとの意識が強い。この違いは、既存の地域的農業条件、特に基幹作目の違いに規定されている。綾町の有機農業推進は、元来は盛んでなかった露地野菜栽培に主眼をおいてきた。しかし一方で、「有機農業の町・綾」として他作目も含めた産地形成を図ってきた。その結果、町の基幹作目である施設野菜等にも有機農業への取り組みが波及し、減農薬・減化肥という、有機農業とは似て非なる対応がとられてきた。それが受容形態の違いに反映されている。

第三に、農業経営規模による差異がある。大規模農家では経済的側面が深刻な問題となっている。ただし移住農家のそれには、労力面や病虫害を問題として語らないなど自己の選択の正当化とも取れる行動が認められた。一方、小規模農家には出荷機会の拡大による経済的メリットが存在する。

以上のように、同じ有機農産物産地・綾町の農家の間でも、有機農業の推進に対する意識のズレや対話の欠如は顕著である。決して、産地内の農家が一丸となって有機農業に取り組んでいるわけではない。このことは、農家の今後の経営方針にも明瞭に反映されている。後継者問題を抱えるが現状肯定的な農家の多い尾立、押しなべて現状否定的で縮小志向の強い崎の田、個々に自分なりの農業のあり方を追求する移住農家など、産地内には様々な方向性がある。一方、現在の綾町には、農産物販売価格の低迷や産地間競争の激化といった外部環境の変化、担い手・後継者問題などが深刻化する中、有機農産物産地としての明確な将来展望・対応策を呈示するリーダー的人物は存在しない。農家の方向性分化や強力な推進役の不在などの事実からは、残念ながら、今後、綾町が先駆的な有機農産物産地として持続していくとは考えにくい。

農家の受容形態に見られる違いは、綾町だけでなく、全ての有機農産物産地に大なり小なり存在すると思われる。また、どの産地も綾町のように、強力な推進役が不在となる可能性がある。産地を持続可能にするためには、産地の構成員が対等に議論できる場を意図的・継続的に設けると同時に、産地として共有できるこだわりを何か見出し、それぞれの立場からその方向性に沿った取り組みを続けていく必要があろう。例えば綾町の場合には、「有機農業の町」としての豊富な経験蓄積や知名度を活かし、地域全体に食農教育の機能を持たせるなどの活性化策が考えられる。


 
 上記の内容について、もっと詳しくお知りになりたい方は、下記の文献をご参照ください。
 河本大地(2005):有機農業の展開と農家の受容―有機農産物産地・宮崎県綾町の事例―.人文地理,57-1,pp.1-24.
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